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【ドイツ旅行①】ドレスデン【到着】

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ドレスデンに来るのは二度目だった。まさかまたここに来るとは思いもしなかった。ドレスデンは小奇麗だが、取り立てて面白みもなく、この街の観光は一度見ればそれでもう満足してしまうようなものだからだ。

街の大部分は第二次世界大戦の時に英米同盟軍によって破壊されてしまっていた。戦後ドレスデンは復興して新しいビルが立ち並ぶ新しい街になった。

もちろん古い建物もあるにはある。聖母教会という教会がある。その教会には、目を見張るような工夫が施されている。一度破壊された教会のレンガと新しいレンガを組み合わせて作られているのだが、新しいレンガは新しくて白い。だからその教会は古くて黒いレンガと新しくて白いレンガのつぎはぎで作られている。戦争のことを忘れないためにあえてそう作られているようだ。

ドイツでは戦争の惨劇に対し、目をつむるのではなく、ちゃんと直視している。この国ではそういう意識が本当に高い。

今回僕がここに来たのはドレスデンに住む友達が会いに来るよう誘ってくれたからだった。僕達はベルリンのクラブで会った。ヒッピー風の彼女はダンスフロアーでふわふわと踊っていた。僕らはなんとなく一緒に踊って、少し疲れるとクラブの外のチルアウトできる空間で話し始めた。

まだドイツに来て数カ月しか経っていなかったので本当につたないドイツ語しか僕は話せなかったが、彼女は根気よく話を聞いてくれたし、とても丁寧に話をしてくれた。

彼女はドレスデンの大学に通っているが、兄に会うためベルリンに来ていた。これからインドのハイドラバラッドに彼女は留学する。その前に一度兄に会うためにベルリンを訪れていた。

僕は彼女がまだベルリンにいる間にもう一度だけ会った。合計でたった二回だけだ。彼女がインドにいる間には、急になにかを思い出したかのようにテキストが送られてきたり、スカイプをしたりした。

ベルリンからドレスデンまではバスで簡単に行くことができる。時間もそれほどかからない。2時間半ほどで到着する。しかし僕の乗ったバスは道を間違えて一時間ほど遅れた。

バスが着くと彼女にテキストを送った。

”着いたよ。いまどこにいるの?”

”いまバス乗り場の横の公園で本を読んでるよ。”

”わかった。いまからそこに向かうよ。”

5月のドレスデンは暖かかった。空気は少し乾燥していて、日差しが強い。日陰に入ると思ったよりもひんやりとしている。

たった数回会っただけの、こんないつでも切れてしまいそうなつたない関係が自分をドレスデンに連れてきたなんて自分でも不思議だった。そう思いながら公園に向かった。

 

 

 

 

【ポーランド】シェチェチンに行きました【くいだおれ旅行】

別にポーランドに行きたかったわけじゃない。ただどこかに行きたかった。

ベルリンに住んでいたので、ポーランドには簡単に行くことができた。手軽さとバスの賃料の安さに惹かれて、僕はすぐに旅行を決意した。友達を一人誘い、旅の日程を決め、そしてすぐにFlixbusのサイトからチケットを予約した。

旅行は日帰りにすることにした。なぜなら目的地がシェチェチンという名前も聞いたことのない町で、それほど見るものはないだろうと踏んだからだ。

日帰りという判断はおおむね正解だった。僕はいつも日程を取りすぎてしまう。余分に日程を取って、旅先で時間を持て余すことがこれまでに何度もあった。足りないくらいが丁度いい。

この旅行には目的が三つあった。まず第一に、海外旅行にいったという事実を作ること。第二に、ポーランドの料理を堪能すること。特にピエロギ。そして最後に、世界にはいろんな場所があって、いろんな人がいるというあたりまえの事実を確認すること。それだけ達成できれば十分だった。

 

当日の朝7時に起床し、軽く朝食を取り、コーヒーを飲み、そして朝の準備をした。黒いスキニー・ジーンズをはき、無地のグレイのシャツに薄手の黒いカーディガンをはおった。バックパックにカメラだけ入れて背負う。少し迷って黒くて大きいハットもかぶった。スキニーを少しロールアップして、8ホールのドクターマーチンをはいて、家の前にあるトラム乗り場へ向かった。

天気は申し分なかった。美しい5月のベルリンの陽光に目を細めながらトラムにのり、最寄りのリング・バーンまで行く。そこで電車に乗り、西側にあるMesse Nord/ICCへ向かう。リング・バーンは東から西へ放物線を描いてベルリンを横断する。

友達とバス停のある場所で集合し、9:15分発のバスに乗り、シェチェチンへ出発した。社内では友達と他愛のない話をしながら時間を潰した。なにを話したのか今ではひとつも覚えていない。その移動で唯一覚えているのは、バスがポーランドに近づくにつれて、周りの景色が少し荒涼としはじめた事、そして国境沿いに数台の戦車を見た事だけだ。少し長めの長編映画くらいの移動時間で、バスは目的の町に着いた。

バスはシェチェチンの駅の前で止まった。外に出てみる。日差しはやわらかく、気温はベルリンとほとんど変わらないくらいだ。

シェチェチンに到着したものの、この町についてほとんどなにも知らなかった。シェチェチンは港町で、バルト海に面している。知っていることはそれでほとんど全部だった。調べたのはレストランくらいだ。

駅から出て、周りの景色を見ながらレストランにある方向に適当に向かった。赤いレンガでできた建物が目を引く。途中でキオスクを見つけたので、中に入った。店内に入ると、レジの後ろにアルコール度数の高い酒類が並べられているのが目に入る。他の棚にはヨーロッパならどこでも買えるお菓子やポーランドのスナック類がところ狭しと並べられている。

僕はヨーグルト・ドリンクが飲みたかった。ヨーロッパの旅行といえば地元のスーパーで買うのヨーグルト・ドリンクだ。僕はクーラーがある棚のところに行って、数種類のヨーグルト・ドリンクを見つける。まずどこでも買えるインターナショナルな商品は即除外し、その中で一番ポーランドらしいものを手に取る。レジに持っていく。ポーランドのお金をはじめて使うのでわくわくする。レジの店員がバーコードを読み取ろうとするが、うまく認識できない。何度も挑戦するもののバーコードは読み取れない。店員はあきらめて、これは買えないよと僕に伝える。

かくしてポーランドではじめての買い物は失敗に終わった。お金はあったし、商品もそこにある。僕は欲しかったし、店員は売りたい。でもそれだけでは買い物が成立しない。現代社会の辛酸こんなところで舐めることになろうとは。

それでもあきらめきれない僕は別の店を探してヨーグルト・ドリンクを買った。その店をでるとすぐにフタをあけ、ひとくち飲んだ。選んだフレーバーはベリー系のミックスだ。甘くクリーミーな味とベリーの酸味が口のなかに広がる。味はほぼ予想通りで、ヨーグルト・ドリンクらしいヨーグルト・ドリンクだった。そうですよね、これがヨーグルト・ドリンクですよね、という味だ。なんの変哲もない。それだけ確認して僕は非常に満足した気分になった。

満足した心持ちもまま店の前の坂を登って歩くと少し大きな道路にあたる。iPhoneGoogle mapを開き、現在地を確認し、正しい方向に道を曲がった。大きな通りの中央はトラムの線路があり、左右には道路がある。まわりにある看板や広告はポーランド語で書かれている。それを見てやっと外国に来たという気分になった。

そのまま周りの町並みを満喫しながらレストランへと足を進めた。目的のレストランに到着し、店の中に入った。広い店内に大きなテーブルがいくつもあった。店には家族連れが一組、二組がいる程度で空いている。テラスにも席がいくつかある。

僕はウェイターへ窓際の席が良いと伝え、日当たりの良い席を確保した。席に座りメニューを開くとポーランドの伝統料理がずらりと並んでいる。ウォッカだけで一ページ全て使っているのがポーランドらしい。メニューに写真がなかったので、ウェイターにおすすめや料理の量を尋ねた。

料理のサイズは基本的に多めなので、一度にたくさん注文するよりも少しずつ頼んで二人で分けながら食べるのがよい、とウェイターが言った。僕達は店員のすすめで、前菜にきのこのクリームスープを。メインにはポーランドのロール・キャベツと念願のピエロギを注文した。飲み物はシェチェチンに醸造所があるBosmanというペール・ラガーを頼んだ。

まずラガーが来て僕達は乾杯をした。冷えたラガーが喉を通る。天気はよくて、これから春がくる。目の前にはまだ半分以上入っているビールがあって、これからランチが運ばれてくる。とてもリラックスした幸せな時間だ。ヨーロッパではそういう時間はごく普通にありふれている。そしてそれはちょっとした努力で手に入れることができる。ロンドンのパブで昼から友達と飲むギネスのパイント、スペインのバルでつまみを食べながら太陽のもとで飲む小さいグラスにはいったビール、ベルリンの公園でケバブを食べながら瓶のまま飲むピルスナー。そういう時間がちょっと手を伸ばせば簡単に手に入る。こういうリラックスした時間がヨーロッパにはあふれている。

しばらく待ち、まず前菜のスープがきた。きのこのクリーム・スープは絶品だった。スープにきのこのうまみがでていて、あまみのある濃厚なクリームと非常によく合う。そしてもう少ししてからメインの料理が運ばれてくる。トマトベースのソースがたっぷりとかかりその上にきざまれた香草が乗せてあるロール・キャベツに、たまねぎとひきにくのあえものがかかったピエロギだ。ピエロギは餃子のようなものだが、生地はこちらの方がいくぶん分厚くてもちもちしている。つるりとして食べやすいが生地が厚く、中にひき肉がたっぷり詰まっているのでなかなか食べごたえがある。ビールとの相性もなかなかいい。友達とくだらない話をしながら料理を堪能した。とてもおいしかったし、なにより安かった。

食事のあと僕らはどこへいくともなくぶらぶらと歩き始めた。観光案内の看板を見つけ、なんとなくその方向へ歩みをすすめる。途中で見つけたアイスクリーム屋さんでアイスを買う。ベリー系とヨーグルトをダブルでワッフルのコーンで注文する。それを食べながら通りを歩く。また適当に見つけたアンティーク屋さんに入って、古い家具や絵画を勝手に品定めする。

歩いていると歩行者だけが通れる大きな通りに入った。左右に道路があり、その真ん中にその大きな通りがある。その通りにはカフェやレストランやビアガーデンがある。そのまま通りに沿って歩いていく。すると壁がすべてエメラルド・グリーンの建物が目の前に現れた。きれいなグリーンに塗られた壁に白い窓枠と金の装飾が付いている。なかなか見栄えする綺麗な建物だった。よく見てみるとどうやら役所のようだ。ちょうどトイレに行きたかったこともあり、中に入り用を足した。中に入ると、しんとしていて、空気はひんやりとしている。外見の新しさに比べ、内装や階段のすり減り具合を見る限り、建てられてから相当な年月が経っているようだった。でもヨーロッパの建物は古くてもさびれた感じがあまりしない。古くても雰囲気が良い。日本の雑居ビルや古いアパートメントのようないやな感じがまるでしない。日本の古いビルは錆び付いていて、湿っぽくてなんだかいやな気分になるけれど、ヨーロッパの古い建物はなぜか安心できる。

市庁舎を後にし、住宅街をぶらぶらと歩く。ポーランドの住居も主要なヨーロッパの住宅と似ていて、通りの左右に隙間なくマンションが連続して建てられている。バルコニーがついている部屋もある。おそらくポーランドの物価からするに家賃もそれほど高くないだろう。住んでみると落ち着いたいい町なのかもしれないと思った。料理もおいしいし、物価も安い。

ただポーランド語は大変だろうし、すぐに町にも飽きてしまうだろう。住むならやはりベルリンのような楽しい街がいい。

少し歩き疲れて、町の雰囲気にも軽く飽きたところで、友達と先ほどの大きな通りにあるビアガーデンにいくことにする。店員の勧めにそのまま応じてポーランドのビールを飲む。ここで飲んだビールもまたラガーだ。太陽の下ラガーを傾ける。

もうすることがなくなってしまったね、と友達と話した。日本への帰国を目前にひかえた僕は、これからどうするかとか、温泉や気軽食べられる日本食が恋しいだとか、そんな話をした。

僕は旅行に行く時は一人が多い。行く場所も、タイミングも思い立ったらすぐに決めてしまうし、とにかくなんでも一人で決めてやってしまう。一人で来るとこういう時間がとても退屈になる。だから今回は友達と一緒でよかったと思う。このような見るようなものが無い町では特に。

ビアガーデンを離れ、また町を歩く。途中で大きなデパートを見つける。きれいで、涼しくて、そして世界中のどんな所にでもあるような退屈なデパートだ。僕達はそのデパートを素通りして、反対側へと抜けた。

反対側にはきれいなストリート伸びていた。そのままその道を歩いていると、外観が少しさびれたお店があるのに気づいた。ピエロギなんとかと書いてある。僕は少し中を覗いてみる。ピエロギ専門のレストランのようだった。安っぽい椅子やクロスのかかったテーブルが魅力的だった。こういう地元の人が集まりそうなところがおいしいと相場は決まっている。

お腹は空いてない。しかしピエロギ2,3個くらいは入りそうだったので、注文することにした。店員にピエロギが欲しいと言ったが、英語がまるで通じない。ドイツ語で同じことを言い直したが、それも通じない。

そこで友達が携帯でポーランドを検索してくれた。「豚肉」だの「牛肉」だといった言葉を引っ張りだしてきて、ようやく注文が確定した。

席で待つこと数分、ポーランド純度の高いピエロギが運ばれてきた。食べてみるとおいしい。味がどんなにおいしくとも、日に同じものを二度も食べるとそう簡単にそれ以上の感想はでない。

二度目のピエロギを頂戴したあとで、また腹ごなしに町を歩く。赤いレンガで建てられた協会、教会前で歌う人々、古いタバコ屋の日焼けした商品、車がぐるぐるまわるラウンド・アバウト、そんなようなものを見ながら町を散歩した。

太陽が気持ち傾いてきた。帰りのバスの時間は19時に出る。僕らの財布にはまだポーランドのお金がたくさん余っていた。いまは17時過ぎ。夕食の時間といえば夕食の時間だった。夕食を取るというのは旅を締めくくるにはあまりに順当な行為だ。

でも僕らは満腹だった。

昼にポーランドに着いて、それからすぐにレストランヘ行き昼食を取った。それから間食をはさみつつ、ビールを飲んだ。そしてまたすぐピエロギだ。17時にお腹がすくわけがない。しかし僕らは他にお金の使いみちも思いつかなかった。こうなったらくいだおれてやろうと我々は勇猛果敢にレストランへと入った。

ビーフ・ステーキとチキン・ウイングとチェコのビールを頼んだ。

このお店はサービスがよくて、ビールを頼むとつまみが三種類ついてくる。ハムとかピクルスとかそんなようなものだ。今の僕らには余計だった。でもなぜか手が勝手に伸びてしまう。

ビーフとチキンが運ばれてきた。そのボリュームたるや見るだけでもう満腹になるくらいだった。サイドにポテトもついている。ウェッジ・ポテトにかるくスパイスがまぶされているやつだ。僕のお気に入りだ。

チキンから挑戦する。甘辛のチリソースがかかっている。とてもおいしい。満腹なのに非常にうまい。

そしてビーフを食べる。ビーフにはごろごろとしたブラック・ペッパーの実がまぶされている。ぴりっと胡椒がきき、ソースもおいしいし、焼き加減もよい。

しかしなにぶん僕らは満腹だった。頑張って残さないように努力したが、お気に入りのウェッジ・ポテトを残したまま店を去ることになった。食べ過ぎの胃袋をかかえ、バス乗り場へ向かう。しかしまだお金が余ったままだ。ポーランドなんてそう頻繁にはこないだろう。いまこのお金を使わなければと、どこか使える場所を探した。スターバックスを見つけたので中に入るが、キャラメル・フラペチーノを買うには気持ちお金が足りなかった。それで今度はビール専門店に行きおしゃれなビールを一本買った。まだ余っていたのでキオスクに行き、ビールとラドラーを一本ずつ買い、おまけに板チョコを一枚買った。レジまで持って行きまだ余裕があったのでスニッカーズを追加した。それ全てをかばんに詰め込みバス停へと向かう。駅の近くのキオスクで残りの小銭をはたいてモナカアイスも買って、それを食べながらバスへと向かった。

 

バス停からベルリン行きのバスに乗り込み、シートに深く座り込んだ。歩き疲れていたし、なにより食べ過ぎていた。シートに腰を落ち着けると、これからベルリンに帰れると思うと少しほっとした気分になった。ベルリンも僕にとってはよその街だったのに、いつのまにか帰ると表現できる場所になっていたことに気づく。くだらない日帰り旅行だったけれど来て良かった。自分が住んでいる街を出ると、自分がどこにいるのかわかる。くだらない理由でもいいからこれからも旅に出よう。

旅行はきらいだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【オーストラリアン・コメディ】Please like me 【LGBT】

ジョシュはクレアから突然の別れを切り出される。理由を聞くジョシュにクレアは返す。「だって、あなたゲイでしょ?」と。

ジョシュにはルームメイトであり、親友のトムがいる。トムの職場で彼の同僚ジェフリーにジョシュは出会う。そして二人はすぐに心惹かれ、一夜を共にし、ジョシュは自分がゲイであることを自覚する。

 

Please like meはオーストラリアのメルボルンを舞台にしたコメディ・ドラマだ。ジョシュ・トーマスが自ら脚本を書き、主演を演じている。

母親の精神的な病気や自殺傾向などのシリアスなテーマにもどこかヒラリアスなトーンでオブラートをかけている。どこまでがフィクションで、どこまでがノン・フィクションなのかはわからないけれど、ジョシュ本人の生々しい体験を通してつくられただろうという印象を受けた。

ジョシュとトムは役の名前ではなく、本名で出演しているし、二人がなにかを率直に伝えたいのだという意思を感じる。

このドラマが魅力的なのはその率直さのおかげだと思う。もちろんドラマはつくりものだから、本当の意味ではノン・フィクションにはなりえない。

でもその大胆なストーリー・ラインのせいか、セリフの言葉選びなのか、演技なのか、はたまた全てがそうなのか、このドラマはとてもリアルな感じがする。

 

このドラマ主要なキャラクターはみんなディスオリエンテッドな感じで、どうすればいいのか、どこに行けばいいのかわからないで迷っている。

ジョシュにしても、新しい自分に出会って、それを幸せに思っていながらも付き合う相手との関係に頭を悩ましている。相手が情熱すぎるからと別れたり、急に思い立って相手との関係を終わらせてしまったり、セルフィッシュにふるまうことが何度もある。

さらに自殺未遂をした母親との関係や、自分の将来に対し心配を寄せる父親との接し方もわからないままでいる。それでもジョシュは彼なりに努力を続ける。いつも明るく、ジョークで相手を笑わせたり、思っていることはなるべく率直に伝えようとしている。

ルーム・メイトのトムは常に女性との関係に悩んでいる。ジョシュと別れたクレアと付き合ったり、浮気をしたり、好きでもない相手と関係を結んだり、コール・ガールを呼んだり、やっぱり怖気づいて隠れたり、女性とうまく関係をつかめないままでいる。トムはトムなりの誠実さで、自分をあらわそうとしてはいるものの、最終的には関係に不具合が生じて終わりを迎える。

クレアは自分の人生でなにをすればいいのかわからないでいる。トムと恋人関係を保ったままドイツへと移住する。そしていつしか二人の関係は終わる。

その後ドイツでの数年の滞在から帰国したクレアは自分の現状に対しトムに不満を言う。クレアは自分がいまどこかにいないということをただ不満に思っていて、そのやりきれない苛立ちや人生への不安に大きな焦りを感じている。

おもしろいのはシリーズ全てが終わってもそういった迷いに対して明確な答えがなにも示されないことだ。迷いはありつつも環境や状況は変わる。それで生活に変化がありつつも本質的になにかが解決されるわけではない。そのような部分がすごく生々しくて共感してしまう。

僕らの生活にしても似たように思える。進学して、学校を卒業して、就職して、結婚したり、転職したり、人生に変化は訪れる。でも本質的な問題はなかなか解決されない。なにが問題か見つけるのも困難であるし、そもそも問題があるのかどうか判断するのも楽ではない。では問題がなにもないのに、それほど幸せな感じがしない。現状を見れば満たされているのに、足りていないものを探してしまう。過去には怒りが溢れているし、未来には不安が待ち構えている。未来の幸せについつい僕らは期待を寄せてしまう。あれがあれば、これがあれば、幸せになれるんじゃないかって思ってしまう。それは間違ってないのかもしれないけれど、目をこらせばもっと近いところにそれはある。今を見つめれば僕らは幸せを感じることができるのではないだろうか。

このドラマを見ながらそう考えました。

 

Please like meは全話NetFlixで見ることができます。もしよかったらどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

【したたかに、それでも生きる】悪童日記【小説家アゴタ・クリストフの処女作】

まだ幼い双子が母親に連れられて来たのは小さな町にある祖母の家。まわりから魔女と呼ばれる祖母のもとへ、その二人は疎開児童として預けられた。

戦争の中、爆撃や食糧難から逃れるために、大きな町から小さな町へと母親に連れられてきた。母親は去り、双子はおばあちゃんのもとへ残された。

「ぼくら」はそこで、したたかに生きていく。

 

二人はおばあちゃんに従うことを拒否した。労働を全くしなかったし、おばあちゃんのいうことは聞かなかった。しかしそうしないとおばあちゃんは二人に食べ物も与えてはくれないし、家にもいれてくれなかった。

そこで二人は労働を受け入れた。その日から彼らにできる事であればどんな仕事でもするようになった。

 

双子は体を鍛える。お互いにベルトで叩き合い、手を火で焼き、体にナイフを突き立て、その傷口にアルコールをかける。痛みを超えるまで双子は体を鍛える。

双子は精神も鍛える。二人はまわりの人からの心無い言葉や罵詈雑言を言われると膝が震えたり、顔が赤くなった。双子はお互いに罵りあう。言葉が意味を持たなくなるまで二人はお互い罵りあう。しかし愛ある言葉も二人の心を揺らす。彼らは母親からの愛情のこもった言葉を形骸化させるため、罵りと同じ要領で愛ある言葉の意味がなくなるまで二人でその言葉を繰り返した。

 

二人は文具店から紙とノートと鉛筆を手に入れ学習をする。辞典で言葉の意味を調べたり、聖書を使って読み書きの練習をする。

双子は互いにテーマを出しあい、下書き用の紙に作文をする。そしてその作文が基準を満たせば、大きなノートに清書をする。その大きなノートに書かれたものが、この悪童日記だ。

大きなノートに書く作文には満たすべき基準がある。そのルールは事実しか書かないということだ。そのルールを噛み砕くとこうなる。

・おばあちゃんは魔女に似ている。こう書くのは主観であり事実ではないから不可。

・おばあちゃんは魔女と呼ばれている。これは事実なので可。

曖昧で定義できない感情は書かず、事実について書くにとどめるのをこの双子は良しとしてノートに作文をしていく。

 

双子には確固たる基準を持っている。二人は子供ながらに、いや子供であるからこその倫理観に従って行動する。そしてその倫理観は傍目から見ると、残酷に見えることもある。こころが無いようにみえる。一般的な善悪には沿わず、独自の視点で双子は世界をみる。それは無垢であり、過激である。

その二人の目を通し、体験は綴られる。戦争、虐殺、死、安楽死、病気、差別、宗教、性、教育、いじめ、貧困、欲望などの幅広い事柄が二人へ近づく。そして二人はそれに応える。

 

 

 

 

悪童日記ハンガリー出身の作家、アゴタ・クリストフによって書かれた小説だ。疎開児童が自らの体験を綴るかたちで物語が書かれている。細かい章立てで小説は構成されており、寸劇があつまり流れのあるストーリーを構成している。主語が常に「ぼくら」なのが非常にユニークだ。

疎開児童というととっつきにくいかもしれない。でもそれでもぜひ手を伸ばしてみて欲しい。すごく芯のある話だから。

【ウェールズを舞台にした青春映画】サブマリン【ブリティッシュ・フィルム】

ウェールズの自然を背景に、オリバー・テイトの苦悩と青春を映し出したオフビートなカミング・オブ・エイジ・コメディ、サブマリン。

 

■あらすじ

サブマリンには2つの物語の筋がある。そのうちのひとつがジョルダナとの恋だ。

 

オリバー・テイトが思いを寄せるのは同じクラスの風変わりな少女ジョルダナ。

ある日の放課後、ジョルダナがオリバーを高架下に呼び出した。そこでジョルダナはオリバーにキスをして、その瞬間の写真を自ら撮った。彼女にはスクール・ディスコで浮気をした元カレに嫉妬をさせる思惑があったが、計画は裏目に出てオリバーと付き合うことになった。

 二人は幸せな時を過ごすも、トラブルやすれ違いにより次第に状況が変化していく。

 

そしてもうひとつのプロットは両親の離婚を止めることだ。

両親の関係に対しオリバーは不安を抱いている。父親のロイドは落ち込み気味で抗鬱剤を服用している。両親の関係は冷えきっているとオリバーは感じている。

母親の昔のボーイ・フレンドであるグラハムがそんなタイミングで隣に越してくる。グラハムはニュー・エイジの教祖で、自分の開催するセミナーにオリバーの両親を勧誘する。そうして母親とグラハムが接近するなか、オリバーは二人の関係を疑いだす。

 

◼️魅力

サブマリンの映像はリズムがいい。気持ちのいいテンポで映像が切り替わる。そこにオリバーのナレーションが入り、美しい画が映し出され、音楽がながれる。ミュージック・ビデオ続いていくような感覚だ。

ストーリーの波に乗り、気がつくと映画はすでに終わっていて、心の中に控えめな感動が残る。喝采を浴びせるような種類でも、涙を流すような種類でもなく、そのままソファに沈んでグラスに残ったワインをすすり続けてしまうような淡い感動だ。

季節が変わったり、なんとなく疲れていたりすると、そういう心の場所へ行きたくなり、またサブマリンを眺める。

サブマリンはそういう映画だ。

もしあなたもそういう景色を求めているのなら。

 

 

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◼️サブマリンをよくみる

・ヴォイス・オーバーとナラティブ

サブマリンは同名の小説をもとに作られた。原作ではオリバーが独白する形で物語が進んでいく。

映画もそれにならいオリバーのヴォイス・オーバーが多様される。それを通して、オリバーの心情描写や考えを直接見ている人に伝えている。

 

・テーマの重さ

一応コメディとして体裁をとっているが、扱っているテーマは重い。身体的・精神的な病気をはじめ、死別に結婚生活の不和などの問題が出てくる。

オリバーはそれらの問題について理解を求める。

オリバーは問題をシリアスに捉えるが、彼の心情吐露はどこかおかしみを持つ。それにより重いテーマではあるが、コメディとして成立していて、思い気持ちにならずに見ることができる。

 

・映像と音楽

ウェールズの豊かな自然もとうぜん目にとまるが、それ以上に日常のなんの変哲もない景色がロマンチックに映し出されている。

工場の跡地を映し出すシーンが何度か映し出されるのだか、それがいい味をだしていて、青春の一幕を描写している。退廃的で芸術的で青春。

 

・音楽

サブマリンのサウンド・トラックはアークティック・モンキーズのアレックス・ターナーによって手がけられている。

監督のリチャード・アイオワディはミュージック・ビデオも製作する。アークティック・モンキーズの作品も監督したことがある。

アレックスの曲がサブマリンのシーンにぴたりとはまる。それが映画の魅力をさらに大きくしている。

 

 

 

  

Submarine/Alex Turner EP Amazonリンク

 

◼️さいごに

僕はブリティッシュ・コメディ、IT Crowdの大ファンだ。IT Crowdは二人のIT課のギークが、ITの知識に乏しい同僚の女性とのすれ違いを軸にしたシット・コムだ。

サブマリンの監督がロイ役としてこのドラマに出演している。

アレックスがサウンド・トラックを製作すると知り、この映画に興味を持った。そしてその監督がIT Crowdのロイ。なんだか変な感じがした。あのロイが映画監督なんてと思った。

映画を実際に見てみるとなんだか裏切られたような感じがした。ロイがこんなに情緒あふれ、ロマンチックでアーティスティックな映像を撮るだなんてと思った。ミシェル・ゴンドリーやウェス・アンダソンに通じるところがある。ヒューモラスでオフビート。

ジェシー・アイゼンバーグを主役に、ドストエフスキーの話を原作にしたダブルという映画も

これからもリチャード・アイオワディのつくる映画に期待したい。

 

 

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【流れに逆らってもそれでもアンバーは歌う】The Japanese House - Swim Against the Tide 【EP】

 

■The Japanese House

The Japanese Houseはロンドンを中心に活動するアンバー・ベインによるソロ・プロジェクトだ。

The Japanese Houseはクールなギターのリフにあたたかいシンセサイザーの音をうまく混ぜてドリーミィな雰囲気をつくり上げている。そこに少し気怠い感じにアンバーが声をいれる。

複雑な感情をどうにか伝えようと丁寧に言葉を選んだり、時には残酷な欲望も率直に歌う。

 

Swim Against the Tide

今回は彼女の作品の中でも特に心打つEP、Swim Against the Tideについて書く。

 

このEPはこの4曲から構成されている。

Swim Against the Tide

Face Like Thunder

Good Side In

Leon 

 

Swim Against the Tide

最初の曲Swim Against the Tideはトロピカルなシンセサイザーの音からはじまり、気持ちのいいノイズが混じるクリックがそこに加わる。

やわらかい朝のような雰囲気のなかで過去のハート・ブレイキングな体験と素直な告白が歌われる。

 

Sprit grows when love goes away.

魂は愛が去るときに成長する

And I'm still thinking of a new way to say that I'm missing you.

でもあなたのことを恋しいって他の方法で伝えられないかってまだ考えている

 

Face Like Thunder

このEPのなかでもこの曲はかなり秀逸だ。

愛に怒りが混じる。それでもまだ強い愛が彼女のなかに残っていて、それを吐き出すかのように歌う。

 

Say sorry for a while, for a while, for a while

ずっと、ずっと、ずっと謝りつづけてよ

You know I didn't mean it

本気じゃないってあなたはわかってると思うけど

I said something terrible and I tried to redeem it

ひどいことを言ってしまったからどうにか償おうとはしたんだよ

I can be so cruel although I don't seem it

そうは見えないかもしれないけど、わたしはすごく残酷にもなれるんだからね

 

Good Side In

フォークなアルペジオから導入していき、ダイナミックなビートとサンプリングで派手に展開していく。The Japanese Houseの複雑なアレンジのなかでもこれは特にうまく調和が取れている。

 

As she started to change

彼女は変わり始めたけれど

I remained the same

わたしはそのままだった

I played the game

堂々と戦ったよ

Not too much to sustain

そんなに強くはないけれど

I dont't mind the weight

重みなら気にしないから

 

Leon 

きれいな音響が響く中でアンバーがレオンを呼ぶ。

歌詞をみる限りレオンには娘がいて、妻もいる。その女性はレオンの息子を身ごもっている。そんな男性に恋をするアンバーの気持ちがつづられている。そしてこれは二人の別れの曲だ。

しかし彼女は二人の別れに対して暗く考えてはいないようだ。それどころか彼のしあわせさえも思い、妻のもとに戻るようレオンに伝えている、

 

 

■潮流に抗っているということ

ひどいこともしてしまったし、自分の良い側面が見えなくなってしまったけれど、愛が去り彼女は成長した。そして今は純粋に彼のしあわせを考えることができるようになった。矛盾しているようだけれど、愛が去り彼女は愛を知ったように見える。

わずか15分で壮大な愛の変化が語られる。

 

It's hard to swim agaist the tide

流れに逆らって泳ぐのは大変だ

 

たしかにそうかもしれない。でも彼女にはそれに抗う力がある。

 

Swim Against the Tide - EP

Swim Against the Tide - EP

Clean - EP

Clean - EP

 

Pools to Bathe In - EP

Pools to Bathe In - EP

 

 日本のAmazonではこれしか取り扱いがないですが、レコードでほしい方はこちらへ。

※2月28日現在は在庫切れです。ごめんなさい。

 

 

音楽について書くことについて

音楽について書くことは苦しい。音楽は好きだし、すぐに書けると思った。だが3日頭をひねり続けて、ようやく書いた。それも無理やり。

EPを何周も何周も聞いて、歌詞を何度も何度も読み返して、どうにか彼女の気持ちを理解しようとした。歌詞はかなり詩的だし、抽象的だ。自分の理解が本当に正しいのか確証が持てない。彼女に直接会って意味を尋ねることができればと思う。

Face like Thunderってどんな顔?と。

 

 

 

 

 

【ヨーロッパの多様な文化を味わうフランスの青春映画】スパニッシュ・アパートメント(L'auberge Espagnole)

混沌とした青春劇。

カオスの中からグザヴィエが自分の欲望に再び焦点をあてる出発のストーリー。

見ればみるほど好きになります。

 

 ◼️あらすじ

グザヴィエというフランス人の大学生がスペインに留学します。

本心ではガールフレンドのマルティーヌと一緒にいたいにも関わらず、自らの将来を案じバルセロナでの留学を決意する。

この映画のメインはそのバルセロナでのアパートメントでの生活です。

ヨーロッパの各地から来た人たちとそのアパートメントでグザヴィエは共同生活を始めます。 

その混沌とした生活を通し、グザヴィエは自分が心からやりたいことを見つけていくという話です。

 

◼️スパニッシュ・アパートメントの魅力

・混沌さ

最初に見た時はこの映画にテーマなんてあるのかと疑いました。

多くのシーンは断片的で、非常にランダムです。

登場人物の考え方や感情がカオス。

いきなり怒り出したり、ケンカをしたのになんの説明もなしに急に仲直りをしたりします。

それがこの映画のひとつの魅力です。見てる人の想像力を刺激してくれます。

引き込まれます。

それもどうしようもなく。

 

・シーン

いい映画に素晴らしいシーンがあるのは当然ですが、魅力あふれるカットがあふれています。

グザヴィエに会うためにマルティーナがバルセロナに来ました。そしてパリに帰る時に、グザヴィエがマルティーナを空港まで見送りに行きます。

その別れのシーンが秀逸です。

お互い歩み寄ろうとしようとしているのにも関わらず、すれ違う二人を表現したシーン。

これはぜひ注目して見てほしいです。

エスカレーターにこんな使い方があっただなんて。

 

・エディティングのアイディア

この映画は編集のアイデアもおもしろいです。冒頭にグザヴィエがバルセロナ大学への留学の手続きをするシーンがあります。

その時にはスクリーンに留学に必要な書類がべたべた張り付いてくる演出があり、煩雑な手続きをユニークに表現しています。

他にもおもしろい表現がたくさんあるので、何度見ても新しい発見があります。

 

・音楽

RadioheadDaft Punkなどの音楽が効果的に使われています。

Radiohead/No Surprises

Daft Punk/Aerodynamic 

特にNo Surprisesは思い入れのある曲で、この曲が使われているシーンが来ると興奮します。

他にはラテン・ミュージックなども効果的に使われており、この映画の大きな魅力のひとつになっています。

 

・さまざまな言語

この映画はフランス語がメインですが、スペイン語と英語も劇中で話されます。

スパニッシュ・アパートメントを見るときは絶対に吹き替えにしないで下さい。魅力が半減します。

この映画を通してヨーロッパの雰囲気をご堪能ください。

 

◼️スパニッシュ・アパートメントとの出会い

アメリが好きで、オドレイ・トトゥの映画を追っている時にはこの映画に出会いました。オドレイはマルティーヌ役でこの映画に出ています。

初めてこの映画を見たのは大学生の頃です。

大学で英語を勉強していたので、こういったヨーロッパや欧米のカルチャーに大きなあこがれを抱いていました。

学生の頃にも何度もこの映画を見返しました。

僕に就活を辞めさせ、渡英を後押ししてくれた一因がこの映画にあるのは間違いありません。

◼️三部作

スパニッシュ・アパートメントには続編となる映画が二つあります。ひとつはロシアン・ドールズで、もうひとつはチャイニーズ・パズル(邦題:ニューヨークの巴里夫)です。

世界は混沌としていて複雑であるというグザヴィエの認識はスパニッシュのアパートメントの続きであるロシアン・ドールズとチャイニーズ・パズルにも引き継がれていきます。
この考えは監督であるセドリック・クラピシュがこのシリーズで強調したいテーマのひとつではないかと僕は思います。

その考えが最後にどう着地するのかを知りたい方はぜひ続編もご覧ください。